写真家の星野道夫さんをご存知ですか。
「浅き川も深く渡れ」
この言葉は、故・星野道夫さんが小学校の卒業文集に寄せた言葉です。
私は動物の写真が好きで小さいころからよく見ていましたが
星野さんの写真集は、何と言いますか。次元が違いう・・・
心を奪われる。写真に魂がこめられたような深さを感じるのです。
小学生の頃にこの言葉を選ぶセンス。感性。
凄いですね。
ご存知の方もいるかと思いますが、星野さんは小さいころから
ヒグマに魅了され、動物写真家となり
そして、最後はヒグマに襲われてしまう・・・
という壮絶な結末を迎えます。
それを知ってまた写真集を見直すと、なんというか
その1枚1枚の写真に命をかけ魂でとらえた一瞬を感じるのです。
さて、タイトルにもしました
「浅き川も深く渡れ」皆さんはどうとらえましたか?
ことわざにある「浅い川も深く渡れ」
【物事を行う時は、注意を怠らず決して油断してはいけないということ。浅い川を渡る時も、深い川を渡る時のように注意して渡れ。】
類語では
☑石橋を叩いて渡る
☑念には念を入れよ
というものがあります。
私は勝手に星野さんは違った意味で書き記したのではと思っています。
星野道夫さんは、小さい頃校舎から山を眺め、この瞬間にもクマが生きているんだ。
とよく考えたそうです。「地球は人のものだけではない」。
私はこのことわざに
「普段当たり前に思えることも、より深くとらえ考え辿り着いた先に想像を超える未来がある」
そんな意味であると考えるのです。
私は小さい頃、とても貧しく毎日義父から虐待を受け続ける毎日を過ごしていました。
食べるものすらなく、死にたいなど考える余裕もなく生まれてきた意味を漠然と考えていました。
ある日ふと窓の向こうのカラスを見て思ったのです。
なぜ、カラスは黒いのか?なぜ?と。
なぜ、アリは生まれながらに「働きアリ」という使命を持っているのか?と。
では人が地球に生まれてきた使命はなんだろ。
私が生まれきた使命はなんなのだろう。と。
その答えを生涯探すことが人生の目的で、辿り着くことのない旅なのかもしれません。
それでも、日々、探すのです。
生まれてきた意味を。
明日、突然虹の橋を渡る日が来ても後悔しないように。
今を一所懸命。
この日のために生まれてきたのだと。毎日を一所懸命。
でも、人生はそんなに毎日がドラマチックではありません。
ただ、例えば、どうでしょうか。
ありふれた1日。
公園で、素敵な親子を見て、ただ微笑ましいと眺めるのだけでなく、
一言「素敵なお父さんだね」「可愛いお子さんですね」と声をかける事ができたとしたら?
その一言で、親子は笑顔になり、ひょっとする晩御飯の席で
笑いながら私の事を話題に出すかもしれません。
その瞬間、私は生まれてきた意味があるのではと思うのです。
何気ない一言で、ほんの一瞬だけでも誰かを笑顔にし、喜んでもらえたとしたら
きっとそれは大切な生まれてきた意味になるのだと思うのです。
誰かの記憶にヒトカケラでも輝き刻まれたのなら。それは生まれてきた意味になるのだと。
今日、私はこのブログを未来記事として書き残しています。
この記事がアップされるころ、私は今日もかけがえのない誰かに会い、誰かと話し、
私がこの世に生まれてきた意味にきっと巡り合えているのだと思います。
今日が最後かもしれない。
まだみぬ今日この日のために私は生まれてきた。
毎日をそんな風に生きていけたら幸せですよね。
「ありがとう」の言葉にもっと心を込めて・・・
この一言のために生まれてきたのだという思いで。
「レインボーアース」が、誰かの心にヒトカケラでも幸せな時間を届けられていたとしたら。
少なからず私は生まれてきた意味に巡り合えたのだと。そう思うのです。
心をこめ。魂をこめて・・・
『今日も皆さんが幸せな1日になりますように。』
レインボーアース裏方部